(2)桧原神社を経て

狭井神社から桧原神社へ

狭井神社へ 狭井神社へ

狭井神社に着きました。さい神社と読みます。
狭井神社:10時40分
ここで入山料を払うと三輪山に登れるそうで、いつかチャレンジしたいと思っています。
ここで三輪山のご神水を飲むことが出来ます。
本殿を左側から回って行くと、たくさんの人が水を飲んだり、ポリタンクに汲んだりしていました。
飲むだけなら無料、ポリタンクに汲むのは有料のようでした。
お味の方ですが、冷たくてとても美味しかったです。水道水は臭みがあると改めて思いました。


狭井神社を出て、次は玄賓庵です。木漏れ日を浴びながら、進んで行きました。
タンポポをはじめ黄色い花が咲き乱れる気持ちの良い道です。藤の花がとても綺麗でした。

向こうに見えるのが玄賓庵 玄賓庵の脇の道

玄賓庵:11時15分
玄賓庵は、ひっそりと佇む風情のあるお寺ですが、
ここまでに時間をかけすぎたこと、料金がかかるということでパス。
玄賓庵の前の家では、何か売っていたようですが、これもパス。
早く桧原神社に行きましょう。あそこには、茶店があるはず。
 

桧原神社へ 桧原神社へ

記憶に間違いはなく、桧原神社を回りこんで行くと茶店がありました。
美味しそうな竹の子を売っていましたが、重いのでこれもパス。
茶店で何か食べるのを節約して、桜井の駅近くのコンビにで買ったお結びを食べました。
桧原神社:11時20分
お昼には早いのに、休憩がてら座って飲んだり食べたりしている人たちがたくさん。のどかで、楽しい雰囲気です。
桧原神社のご神体は、三輪山の岩かなにからしくて、鳥居だけの神社です。

社殿がない桧原神社 縄でできた鳥居

ここを過ぎると後は、天皇稜が二つある、言うならば山野辺の道のハイライトまでまっしぐらです。

田園地帯に入る 
 
桧原神社を過ぎると、道幅が広くて車も通れる道になるのですが、
車は通らず気持ち良く、やっぱり来て良かったとしみじみ思いました。
見なれない木の花があったのですが、初めてで名前もわかりません。ご存知の方、教えて下さい。


少し進むと大和の青垣と呼ばれる景色が左側に広がりました。撮った写真が、その美しさを表現できず残念です。
大和は国のまほろば たたなづく青垣 やまごれる大和し 美わし   と古事記に歌われているそうですね。

大和の青垣 進行方向左側は開けています

この道沿いに高市皇子の歌がありました。
        みわやまの山辺まそゆう みじか木綿 かくのみからに 長きとおもいき

私は、高市皇子のファンなので、ちょっとご説明を。
       ┠ 天智天皇ー持統天皇(天武天皇の正妃)
       ┠ 天武天皇
 高市皇子(母は宗像尼子)
                ┠十市皇女(母は額田王)
                ┠草壁皇子(母は持統天皇)
                ┠大津皇子(母は持統天皇の姉)  天智天皇と天武天皇は兄弟

この時代、兄妹でも母親が違えば結婚できたのです。
高市皇子は妹の十市皇女と恋愛していたのですが、十市皇女が急死したのを悼んで歌った歌です。


この道は左に曲がるような感じになっていますが、
その曲がったところで採り立ての蕨を売っていたので一把100円で買いました。

このあたりは民家があって、アスファルトの道になります。
両脇の家の前には、八朔とかの無人販売所があちこちにありました。美味しそうだったけれど、重いのでパス。

道の両脇は、園芸種も含めて花がとても綺麗でした。
また蕨を売っているお店があって、こっちの方が太いとか思い、ついまた買ってしまいました。


翌日は端午の節句です。風がなくこいのぼりがしょんぼりしていました。
このアスファルトの道を右に入ると、田園風景が広がります。

この田園風景の中、景行天皇稜に向かいます。

風がないので 天理から歩いてきた人たち

この頃になると天理から歩いて来た人とのすれちがいも多くなりました。



   

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