(3)ニつの御陵を経て長岳寺へ

二つの御陵

しばらく進むと額田王の歌碑がありました。
歌碑から拾ったのですが、正しいかどうか?

三輪山を しかもかくすか 雲だにも 心あらなむ かくそうべしや

中大兄皇子が即位して、大津に遷都し、引越しをするとき、
もう三輪山の姿も見られないのかと、
額田王が歌った歌だと記憶しています。
   
うま酒 三輪の山 あをによし
奈良の山の 山の間にいかくる
まで 道のくまいかかるまでに
つばらにも見つついかむを
心なく雲のかくそうべしや


御陵へ 御陵へ

邪馬台国がどこにあったのか、今も特定されていませんが、この付近も名乗りをあげているのですね。
卑弥呼の里という看板がありましたし、卑弥呼庵という喫茶店もありました。
この喫茶店は、普通の民家でコーヒーを出すという素敵な雰囲気のお店でした。
ここで一服して元気回復。また歩きはじめました。
卑弥呼 12時50分
細い路地のような感じの道を進むと、下のほうに素晴らしい豪邸が見えてきました。
家の周囲がお堀になっていて、さぞかしお金持ちなんだろうと思いました。
こんな家に住んでみたいと思うのですが、宝くじでもあたらないことには、どうにもなりません。
昔出来た家で、玄関が用心のためか広くありません。
車はどうしているんだろうと思ったら、屋敷の外に路駐していました。誰にも迷惑はかかりません。

喫茶卑弥呼庵の窓から この豪邸の脇を山野辺の道は進みます

この豪邸の脇を少し登ると、二上山が見えてきました。
天武天皇の息子の一人、大津皇子が頂上に眠っていると言われています。
持統天皇(女帝)は、自分の息子の草壁皇子を天皇にしたいから、優れた資質を持った姉と天武天皇の間に生まれた
大津の皇子を反逆罪で捕らえて処刑したとか読んだことがあります。
大津皇子の実の姉大伯皇女が、弟の死を悲しんで、「今日からを二上山を弟だと思って眺める」と詠んだそうです。
大津皇子と大伯皇女は、実の姉弟でありながら、恋愛関係にあったことを示す歌が、万葉集にいくつかあるとのこと。
山野辺の道に2つある御陵のうち、景行天皇稜はそこからすぐでした。

しみじみと見る二上山 景行天皇稜

天皇稜のうち、本当にはっきりしているのは、天智天皇稜だけだと聞いたことがります。
天皇稜を発掘調査すれば、日本の歴史ももっとはっきりするのにと、天皇稜を見るたびに思います。
でも、今はとりあえず景行天皇稜です。
水をたたえて、新緑を映す御陵は、本当にきれい!
爽やかなお天気で、休憩してお菓子などを食べている人も、のどかで楽しそうでした。

古墳について、適当に天皇を当てはめて、何々天皇の御陵としたということですが、
仁徳天皇陵なども違うということがはっきりわかっていても訂正されないのですよね。

古墳を発掘ができれば日本歴史の謎のいくつかは解明されるそうですけど、宮内庁が許可しないらしいですね。
何かとんでもないものが出てきて、歴史を覆す(例えば、皇室の正統性が疑われるとか)可能性がないわけではない、
という事情らしいです。

いつかすべての古墳の発掘が可能になったら、面白いでしょうね。
それともロマンがなくなってつまらないでしょうか?
          談 珊瑚

休憩している人たち 崇神天皇稜

景行天皇稜は、少し道から外れた感じがあるのですが、崇神天皇稜は山野辺の道が周り込む感じになています。
崇神天皇稜 1時20分
石が敷き詰めてコンクリートで固めた道をするむと、崇神天皇稜の別の面がみられます。
ここにも宮内庁の看板がありました。

崇神天皇稜のほとりの道 宮内庁の看板

後少しで、中間点の長岳寺です。

長岳寺

長岳寺は、ほぼ桜井から天理の約中間点ではありますが、ここまでで観光する主な名所はほぼ終わりです。
といっても皆無ではありませんので、最後までお付き合い下さいね。
長岳寺 午後1時45分
長岳寺はツツジの名所で、JR柳本駅から1kmぐらいの便利なところにあるので、とても混んでいました。
まず大門を入ると長いツツジの参道。満開で本当に綺麗でした。
ツツジの中、すこし進むと、重要文化財の立派な楼門がありますが、この楼門から向こうは、有料です。
境内には、放生池という大きな池があって、池を通してみる景色は、どこから見ても素敵な絵になりました。
ここの見所としては、大石棺仏です。大きな石にレリーフになっているもので、お棺の蓋だったのかな
と思ったのですが、棺仏を見るために上った階段に疲れ果てて、聞く元気もありませんでした。
 

長岳寺の大門

満開のツツジの参道
重要文化財の楼門 美しい放生池

そろそろ疲れが出てきましたが、歩かなければなりません。
畑の中の道を歩いていて、「桑の木かしら。」と同行のけやきさんに聞いたところ、「柿でしょう。」と言われアララ。

柿の新緑が美しい

気持ちの良い道を進むと柿本人麻呂の歌碑がありました。
    衾道を引手の山に妹置きて
    山路をゆけば生けるともなし
解説は、できません。雰囲気をお味わい下さい。


人麻呂の歌碑を見る人たち 人麻呂の歌碑

この先に、中山大古墳があり、発掘調査中だということです。
古墳は、誰のお墓か不明のものがいくつかあるという話。
いえ、実は天皇稜は適当に古墳を天皇のお墓として振り分けたとのこと。
だからこの中山大古墳も実は有名天皇のお墓の可能性もありますね。
殆ど盗掘されているんでしょうから、財宝は出てこないでしょうけど、ロマンがあります。
などと考えながら、のどかな道を進みました。

土壁が残っています。

次回が最終回になりそうです。



   

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