萩往還-3月28日その(3)

一升谷を下って佐々並市の林屋旅館へ
一升谷を下って

一升谷の頂上からは下り坂です。
ここをどんどん下ると、今晩宿泊する旭村の林屋旅館に行き着くと聞いていたので 元気を出して下り始めました。
途中雨があたったりして、傘を出したり入れたりしてどんどん下っていくと、
のどかな田園風景という感じのところに出て、道路が舗装になりました。
それはそれで歩きやすく、綺麗なミツマタの花を楽しんで進むと 駕籠建場後の説明板がありました。
桜茶屋と呼ばれたわけが書いてあります。

ミツマタが満開

見晴らしのいい場所なので、お殿様も景色を楽しんだんでしょう。
でも今は、普通の村の中の道という感じしか残っていません。
午後1:35

そこを更に進むと、ちょう切中の峠一里塚跡がありました。
萩から何里とか書いてあればいいのにと、疲れも手伝って
少しヤケになってしまいました。
それでものどかな田園を歩くのは気持ちよくて、今晩泊まる林屋旅館は
どんな風だろう、お豆腐の特別料理は美味しいだろうかと話して
気持ちを引き立てました。
平坦な道ばかりなら良いのにと思いつつ進むと、なななんと階段がみえます。
きっと少しだけよと励ましあって登るとこれが結構な段数。
登りきって見晴らし台のある小さな休憩所を見たときは、
ほっとしました。
休憩所にある見晴らし台に登るのはきつかったけれど、歩さんに見栄をはって
登ってみせました。
でも、もし竹やぶがなかったら、こんな景色ですよという絵以外、
景色は竹やぶであまり見えず、見なくていいわよと言ってすたすた
降りてベンチに座ったら、立てないほどの疲労が押し寄せてきました。

萩往還はここから暫く車がビュンビュン走る国道を歩くことになります。
あと少しで佐々並市だからねーと励ましあって、進むと道路の左側に見慣れた、
萩往還の青い標識が見えました。
そこからは綺麗な石畳の道を、国道と平行して歩くことになります。

途中大きな『萩往還』という看板があって、
国道を通る車に、『萩往還ここにあり』と
アピールしていました。

この頃は、もうへとへとで我慢できず
すれ違った地元の人に

佐々並はまだ遠いですかと聞いてしまいました。
「車の道は曲がっていて遠いけど、
萩往還はまっすぐだからあの峠を越えればすぐだよ。」

峠?うそでしょう?まだ登るの?
ふーッ!
かなりきつい峠を登る途中に休憩所がありました。
午後2:50
朝コンビニで買ったお結びどうしよう?
今晩泊まる旅館で夕食も朝食もついているから、
もう食べるチャンスないね。
でも今食べちゃうとせっかくの夕飯が食べられない。
と話しあって、海苔と中身だけ食べてご飯部分は捨てようということになりました。
お米を作ってくださる皆様、申し訳ありません。
休憩所でたっぷり休んで、最後の登り。

上りきって下ったところで、出会った村の人に「林屋旅館はどこですか。」
「どっからみえたの?」
「萩から歩いてきたんです。」とかなり自慢。
「それはそれは。ここ左に行って、つき当たったら右に曲がって川を渡れば、
林屋旅館だよ。すぐだから頑張って!」
林屋旅館は見つからず、通り過ぎてからもう一度聞くと分かりました。
何はともあれ、1日目が終わったのです。今日はもう歩かなくてよいのです。
午後3:30 

佐々並市の林屋旅館

旭村の佐々並市にある今はひとつっきりの旅館です。
村の中に市があるのは、変ですよね。市(し)じゃなくて(いち)なんですね。
昔市(いち)があったところでこの名前が残っているそうです。

3時半に到着したのは、結構早かったようです。
出発時間にもよりますが、だいたい夕方到着になるようです。
私たちは足がノロイと思っていたのですが、ちょっと気分が良くなりました。

林屋さんの写真を撮るのを忘れるほど、疲れきっていました。
その日宿泊客は私達だけで、2階の大広間で食事、寝室は別室でという豪華版でした。
水が不足しているようで、お手洗いを流す水とかお風呂の水とか節約するよう書いてありました。
寝巻きは、着物がいいですか、ジャージが良いですかと聞いて頂けました。
もちろんジャージが良いです。
夕飯も朝食も内容質とも充実していて、良かったです。
翌日は、山口市まで20km近く歩くわけですから、しっかり疲れをとらないとーー。
旭村から山口市まで、お昼を食べるところはなさそうなので、
お弁当をお願いしました。お結び2個を含めて、一人8200円でした。
萩往還を歩くには、ここ旭村で泊まるしかないので、林屋さんの存在はありがたいです。

いよいよ2日目ですが、朝起きたら雨が降っていました。



   

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