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御柱・綱置場の碑芹ヶ沢交差点


地点確認1 棒道通過想定地点(茅野市玉川)
2009/09/06 に、原村主催の『棒道を往く』という講座がありました。
私もそれに参加したのですが、詳しいことを教えていただいて、とても参考になりました。

原村の綱置き場から茅野市にはいる棒道は、個人所有地になるし、
草が生い茂っているので、入ることはできません。ここからは、マイクロバスでの移動です。

しかし、電信柱161の地点は、棒道通過想定地点と言われています。
この地点は、棒道が真っ直ぐであったとして線を引くと通過する点であるだけでなく、
かつて、村の住民が祖父からここを棒道が通っていたと話す点でもあるようです。
現在は、電信柱に赤いテープが付けてあるだけになっています。

マイクロバスで、車内から確認しました。


地点確認2 関守傳十の墓(茅野市槻木)
次に、棒道通過点とされているのが、『関守傳十の墓』です。
『武田家家臣 関守傳十の墓』と石碑に刻まれていますが、これは昭和になってから
地元の行者『三浦弥助氏』が建てたもので、『武田家家臣関守傳十の墓』と彫られています。

傳十のお墓は柳川と鳴岩川との交点にあり、
近くの城山は、『朝倉山』→『関守伝十の墓近くの城山』→『雀ヶ森』→『鼻戸屋』と続く狼煙の中継地で、
傳十は、狼煙台の番人も兼ねていたそうです。

関守傳十の墓

狼煙台であったろうと言われる城山 松の木の辺りに川を渡る棒道があったとか。

地点確認2 泣き石(茅野市広見)
棒道を構築中に、邪魔になるので動かそうとしたら、泣き出したのでそのままにしたとか。
あまりに大きいので二つに割ろうとした跡だと言われる切込みが残っています。

泣き石がある場所は、直線に引いた棒道想定路からは、少し外れています。
直線で棒道を造ると湿地帯を通るので、迂回してこの地を通ったのではないかと言われているそうです。

泣き石

切り込みの痕があります。
マイクロバスで通った道。棒道だろうと言われています。

棒道通過想定地点から芹ヶ沢交差点へ歩く
191号線をホムズ技研を左に見て、西へ250mほど進むと、
右に斜めに入って芹ヶ沢の交差点に繋がる道があります。
これが、湯川へ進むなら棒道はここを通ったろうと思われる道です。
191号線を右に斜めに入ったすぐのところが、棒道通過想定地点とされていて、
ここで、マイクロバスを降りて、芹ヶ沢の交差点まで歩きます。

右に斜めに入ったところの棒道通過想定地点からの湯川方面の眺め



芹ヶ沢の交差点に着きました。ここからは大門街道へ進みます。





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